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第2次世界大戦・従軍慰安婦問題
   2021年9月8日改訂

朝日新聞による慰安婦報道に関する誤報の問題
はこちら

現在、日本と韓国との間に生ずる「従軍慰安婦問題」。日本での報道、韓国での報道、世界での報道では、かなり温度差があるように感じます。

 私が、この問題についての英語版の報道を初めて見たのは、15年ほど前であったと思います。そして衝撃を受けました。なぜなら、
「従軍慰安婦」の英語への翻訳が、「Comfort Women (慰安する女性)」ではなく、「Sexual Slavery (姓奴隷)」と言う言葉を見つけたからです。同じ翻訳でも、読み手の受ける印象はかなり違うでしょう。

 私は、この問題に関して詳しく論じられるほどの十分な知識はありません。ただ、日本人としては、様々な歴史的検証の中でも、日本人にプラスになるような報道を信じたいという気持ちは強いです。

 朝日新聞で伝えらた吉田証言:「日本軍によって強制的に連行」の報道は、実は偽証だったという報道には憤りを覚えましたし、「高額なお金を受け取って自発的に従事していた女性が居た」という報道には、当時の経済や社会的状況を踏まえると、納得できる部分もあります。まあ、日本人が、列強の植民地化が広がる中、朝鮮の人々に対して行ってきたことは、今の常識では考えられないことも多々あったと想像できますが、やはり、
従軍慰安婦の一般的訳語がSexual Slavery と発見した時はショックでした。

 このようなことが起きていることを理解している人はどのくらいいるでしょう。国際化が進む中、やはり多くの日本人に、英語をわかるようになって欲しいと思います。英語は、学ぶコツがわかれば、誰でも理解できる言語です。一部のエリート層ではなく、多くの人に知っておいていただきたいことと思います。下に、ウィキペディアへのリンクを貼りましたので、英語と日本語の説明の違いなど、ご覧いただければと思います。

ウィキペディアの記事

以下、ウィキペディアの抜粋です。

日本の慰安婦問題    

 日本の慰安婦問題は、旧日本軍の慰安婦に対する日本の国家責任の有無に関する問題。慰安婦問題にはさまざまな認識の差異や論点があり、日本・大韓民国・国際連合などで1980年代ころから議論となっている。慰安婦は大戦以前合法とされた公娼であり、民間経営者により報酬が支払われていたこと、斡旋業者が新聞広告などで広く募集をしていたこと、内地の日本人女性もいたことなどから、国家責任はないとの主張がある一方、慰安婦は一般女性が官憲や軍隊により強制連行された性奴隷であるとの主張もある



Comfort Women

Comfort women or comfort girls were women and girls forced into sexual slavery by the Imperial Japanese Army in occupied countries and territories before and during World War II. The name "comfort women" is a translation of the Japanese ianfu (慰安婦), a euphemism for "prostitutes".
*prostitute=プスティテュートゥ=売春婦

Estimates vary as to how many women were involved, with most historians settling somewhere in the range 50,000–200,000; the exact numbers are still being researched and debated. Most of the women were from occupied countries, including Korea, China, and the Philippines. Women who were used for military "comfort stations" also came from Burma, Thailand, Vietnam, Malaya, Manchukuo, Taiwan (then a Japanese dependency), the Dutch East Indies, Portuguese Timor, New Guinea and other Japanese-occupied territories.

Stations were located in Japan, China, the Philippines, Indonesia, then Malaya, Thailand, Burma, New Guinea, Hong Kong, Macau, and French Indochina. A smaller number of women of European origin were also involved from the Netherlands and Australia with an estimated 200–400 Dutch women alone, with a unknown number of other European females. Some women of Papuan origin including Japanese-Papuan girls born to Japanese fathers and Papuan mothers were also conscripted as comfort women.

Originally,
the brothels were established to provide soldiers with voluntary prostitutes in order to reduce the incidence of wartime rape, a cause of rising anti-Japanese sentiment across occupied territories. However, many women ended up being forced to work in the brothels against their own will.
*brothel=ブさる=売春宿

According to testimonies, some young women were abducted from their homes in countries under Imperial Japanese rule. Japanese women were the first victims to be enslaved in military brothels and trafficked across Japan, Okinawa, Japan’s colonies and occupied territories, and overseas battlegrounds.

In many cases, local middlemen tasked with procuring prostitutes for the military lured women with promises of work in factories or restaurants. In some cases propaganda advocated equity and the sponsorship of women in higher education. Other enticements were false advertising for nursing jobs at outposts or Japanese army bases; once recruited, they were incarcerated in comfort stations both inside their nations and abroad.




朝日新聞の慰安婦報道問題 より

以下、ウィキペディアの抜粋です。1977年か、朝日新聞社が吉田清治の偽証を鵜呑みにし、記事を書き続けてたことによって、多くの誤解が生まれたことは間違いありません。しかし、その訂正や謝罪は、2014年とかなり遅く、しかも一時的なものです。30年以上も、嘘の証言が真実として伝えてきたのですから、もう、それは絶対的事実と信じている人も多いはずで、それを覆すことは容易なことではないと思います。

 私は、日本政府、そして日本軍が朝鮮人に対して犯した非道は、間違いなくあったと思います。戦後にも、朝鮮人に対し差別意識を持つ日本人は少なからず居たと思います。どのような非道があったのか、当時の世界の情勢と合わせて、しっかり検証されるべき問題と思います。

 しかし、朝日新聞社によるこの問題は、全く別次元の事と思います。虚偽の証言に基づき、虚偽記事を多くの人に広め、そのことへの反省も少ないマスコミ。大きな問題が残ってしまったと思います。

 個人や会社の利益、国益、個人的な感情論、すべてを超えた真実の検証こそ、第二次世界大戦というものを総括し、「平和」という事を考える上で必要なことではないでしょうか。「反省」とはそういう事と思います。まだ、戦争を知っている世代が残っているうちに、真実の検証が進むことを願ってやみません。


ウイキペディアの記事・抜粋

 朝日新聞の慰安婦報道問題
   =朝日新聞による慰安婦報道に関する誤報の問題。

 1977年に戦中に陸軍労務報告会下関支部動員部長であったと自称する
吉田清治が『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を刊行し、軍令により済州島で女性を強制連行して慰安婦にしたと「告白」した。吉田は1982年に高木健一弁護士が主導した在樺コリアン訴訟でも済州島での朝鮮人奴隷狩りを証言したが、被告の日本政府代理人は反対尋問をしなかった。

 朝日新聞は、1982年9月2日(大阪版)22面において清田治史が「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」と報道した。さらに
吉田は1983年7月に済州島で200人の女性を拉致したと証言する『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版。同1983年12月に天安市に私費で謝罪碑をたてるために訪韓し、土下座した。

 1992年3月に歴史家の秦郁彦が済州島で現地調査を行い、城山浦の老人が「男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかった」という証言を得たり、済州新聞の許栄善記事を発見し、
吉田証言には根拠がないことを産経新聞1992年4月30日、『正論』1992年6月号に発表した。その後、1996年に吉田は「本に真実を書いても何の利益もない」と事実と創作を混ぜて書いたと述べた。朝日新聞は1997年3月31日に吉田の「著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」との記事を掲載したが、訂正記事は出さなかった。

 
李栄薫ソウル大学教授によれば吉田証言は今日の韓国人の集団的記憶形成に決定的に寄与した。1992年7月31日の韓国政府による日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書でも吉田の著書を証拠として採用し、その後も修正していない。また1996年の国連のクマラスワミ報告でも吉田証言は証拠として採用されている。

 一連の朝日新聞による慰安婦の強制連行報道については
吉田による自らの証言が創作であったとの告白や植村の記事におけるミスの指摘などがなされた後も長らく訂正されることはなかった。

 朝日新聞は吉田の証言を虚偽と認定し記事を撤回した。朝日新聞によれば、1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面の吉田の記事初掲載から確認できただけで16回掲載したとし、1992年4月30日、産経新聞朝刊の秦の吉田証言への疑問との指摘や、1997年3月31日の特集記事のため虚偽との指摘や報道があるとして取材面会を申し込むが吉田から拒否され、吉田は「体験をそのまま書いた」と電話で答えた、その後朝日新聞として吉田のことは取り上げていないとしている。このほか、2012年11月自民党安倍晋三総裁の日本記者クラブ主催の党首討論会での
朝日新聞の誤報による詐欺師のような吉田の本がまるで事実のように伝わり問題が大きくなったとの安倍の指摘までなどを順次経過を追って記述し、「2014年4月から5月にかけて済州島内で70代後半から90代の計約40人から話を聞いたが、強制連行したという吉田の記述を裏付ける証言は得られなかったとして『「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断』とした」。また「読者のみなさまへ」として「当時、虚偽の証言は見抜けませんでした。」としている。

 2014年8月にようやく訂正記事を掲載するに至った。しかし、謝罪はなく、社会問題化する中で同年9月、社長出席の記者会見で改めて訂正、謝罪を行った。
朝日新聞が長期間にわたり訂正を行わず、記事を放置した結果、国際社会における「慰安婦強制連行」を既定事実化したと譴責する声もあり、その責任を問う提訴もなされている

 
2014年9月11日、朝日新聞社社長・木村伊量や取締役編集担当(いずれも当時)らが過去の記事の訂正に関して謝罪会見を行った。同年5月20日記事の吉田調書に関して作業員が命令に違反して撤退と報じた事は誤報であったと訂正し会見で謝罪した。また同年8月5日慰安婦に関する吉田証言を虚偽と訂正を報じた後、謝罪会見がないと指摘があったが、この会見で付随して謝罪した。

 
2014年9月27日、日本共産党のしんぶん赤旗も朝日新聞の8月5日の特集記事を機会に検証し、1992年から93年に3回「吉田証言」や著書を取り上げたが信憑性がなかった、として取り消し・謝罪記事を掲載した。

 また、朝日新聞は記事以外でも吉田証言から謝罪までの間に
天声人語で15回、声の欄で朝日新聞の主張に沿ったもののみ480回慰安婦問題を取り上げており、2014年9月13日付けの天声人語、社説でも謝罪している。

 2014年12月23日、吉田への取材から「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」と報じた記事など追加で2本取り消し、
朝日新聞の一連の記事取り消しは計18本となった。


Asahi Shimbun Third-Party Investigative Committee

InThe novel My War Crime, written by Seiji Yoshida in 1983, which played a major role in publicizing the issue of comfort women, was later found to be mere fiction, causing the Asahi Shimbun newspaper to publish several
retractions and apologies to its readers, as recently as 2014.
*retraction=撤回、取り消し

In August 2014, the Asahi Shimbun, Japan's second largest newspaper in circulation, retracted 16 articles published between 1982 and 1997. The articles were concerned with former imperial army officer Seiji Yoshida, who claimed he had forcibly taken Korean women to wartime Japanese military brothels from the Jeju Island region in South Korea. Following the retraction of the articles, the newspaper also refused to publish an
op-ed on the matter by Japanese journalist Akira Ikegami.
*op-ed (page)=プエドゥ=《米略式》特別ページ(囲み記事など)

The public response and criticism that ensued pushed the newspaper to nominate a third-party investigative committee headed by seven leading scholars, journalists and legal experts. The committee report dealt with the circumstances leading to the publication of Yoshida's false testimony and to the effect these publications had on Japan's image abroad and diplomatic relations with various countries.

It found that the Asahi was
negligent in publishing Yoshida's testimony, but that the reports on the testimony had "limited" effect on foreign media outlets and reports. On the other hand, the report found that Japanese officials’ comments on the issue had a far more detrimental effect on Japan's image and its diplomatic relations.
*negligent=グりジェントゥ=怠惰な,不注意な、(責任など)怠る
*detrimental=デトリンタる=有害な(harmful) /detriment=損失(damage)