
第2次世界大戦・従軍慰安婦問題
《2019年投稿/ 2024年11月改訂》

従軍慰安婦の英訳はSexuala Slavery (姓奴隷)?
↑2019年執筆。1つの翻訳で印象が全く変わってしまう怖さ
ウィキペディアの記事の抜粋
(2019年)
従軍慰安婦報道に関する誤報について思うこと
↑朝日新聞の誤報問題についての私感
朝日新聞の慰安婦報道問題
↑朝日新聞による慰安婦報道に関する誤報の問題/ウィキペディアより
朝日慰安婦報道取り消し10年
↑産経新聞デジタル版/ 2024/8/4

朝日新聞の慰安婦報道問題
↑ウィキペディア
朝日慰安婦報道取り消し10年
↑産経新聞デジタル版/ 2024/8/4
従軍慰安婦の英訳はSexual Slavery (姓奴隷)?
現在、日本と韓国との間に生ずる「従軍慰安婦問題」。日本での報道、韓国での報道、世界での報道では、かなり温度差があるように感じます。
私が、この問題についての英語版の記事を初めて見たのは、15年ほど前(2004年頃)であったと思います。そして衝撃を受けました。なぜなら、「従軍慰安婦」の英語への翻訳が、「Comfort Women (慰安する女性)」ではなく、「Sexual Slavery (姓奴隷)」と言う言葉を見つけたからです。同じ翻訳でも、読み手の受ける印象はかなり違うでしょう。どうしてこのようように英訳されたのか。
私には、この問題に関して詳しく論じられるほどの十分な知識はありません。ただ、日本人としては、日本人にプラスになるような情報を信じたい気持ちはあったかもしれません。そんな中、朝日新聞で伝えられた吉田証言(慰安婦が日本軍によって強制的に連行されたというもの)は、実は偽証だったということを報道で知りました。しかも、朝日新聞の報道のせいで、誤った情報が世界中に拡散し、さらに、その誤情報が長く真実と思われていた事は驚きと同時に憤りを覚えました。
その後読売新聞で、「高額なお金を受け取って自発的に従事していた女性が居た」という記事も読みましたが、当時の経済や社会的状況を踏まえると、そういうこともあったかもしれません。だからと言って、列強の植民地化が広がる中、日本軍やそれに影響された一般の日本人が、朝鮮の人々に対して行ってきた非道なことは、あってはならなかったことと思います。ただ、やはり従軍慰安婦の一般的訳語がSexual Slavery と発見した時はショックでした。
このような翻訳が行われていることを理解している人は、どのくらいいるでしょう。国際化が進む中、やはり多くの日本人に、英語をわかるようになって欲しいと思います。英語は、学ぶコツがわかれば、誰でも理解できる言語です。一部のエリート層ではなく、多くの人に知っておいていただきたいことと思います。以下に、ウィキペディアからの抜粋文を載せました。英語と日本語の説明の違いなど、ご覧いただければと思います。
2024年11月現在、いくつかの英文記事で、従軍慰安婦の英訳がComfort Womenに変更されていることを確認しました。いつから変更されたかわかりませんが、事実に即した翻訳になったと思います。
ウィキペディアの記事
以下、ウィキペディアの抜粋です。《2019年時点》
日本の慰安婦問題
日本の慰安婦問題は、旧日本軍の慰安婦に対する日本の国家責任の有無に関する問題。慰安婦問題にはさまざまな認識の差異や論点があり、日本・大韓民国・国際連合などで1980年代ころから議論となっている。慰安婦は大戦以前合法とされた公娼であり、民間経営者により報酬が支払われていたこと、斡旋業者が新聞広告などで広く募集をしていたこと、内地の日本人女性もいたことなどから、国家責任はないとの主張がある一方、慰安婦は一般女性が官憲や軍隊により強制連行された性奴隷であるとの主張もある
Comfort Women
Comfort women or comfort girls were women and girls forced into sexual slavery by the Imperial Japanese Army in occupied countries and territories before
and during World War II. The name "comfort women" is a translation
of the Japanese ianfu (慰安婦), a euphemism for "prostitutes".
*prostitute=プロスティテュートゥ=売春婦
Estimates vary as to how many women were involved, with most historians
settling somewhere in the range 50,000–200,000; the exact numbers are still
being researched and debated. Most of the women were from occupied countries,
including Korea, China, and the Philippines. Women who were used for military
"comfort stations" also came from Burma, Thailand, Vietnam, Malaya,
Manchukuo, Taiwan (then a Japanese dependency), the Dutch East Indies,
Portuguese Timor, New Guinea and other Japanese-occupied territories.
Stations were located in Japan, China, the Philippines, Indonesia, then
Malaya, Thailand, Burma, New Guinea, Hong Kong, Macau, and French Indochina.
A smaller number of women of European origin were also involved from the
Netherlands and Australia with an estimated 200–400 Dutch women alone,
with a unknown number of other European females. Some women of Papuan origin
including Japanese-Papuan girls born to Japanese fathers and Papuan mothers
were also conscripted as comfort women.
Originally, the brothels were established to provide soldiers with voluntary prostitutes in order
to reduce the incidence of wartime rape, a cause of rising anti-Japanese
sentiment across occupied territories. However, many women ended up being
forced to work in the brothels against their own will.
*brothel=ブロさる=売春宿
According to testimonies, some young women were abducted from their homes in countries under Imperial Japanese rule. Japanese women were the first victims to be enslaved in military brothels and trafficked across Japan, Okinawa, Japan’s colonies and occupied territories, and overseas battlegrounds.
In many cases, local middlemen tasked with procuring prostitutes for the
military lured women with promises of work in factories or restaurants.
In some cases propaganda advocated equity and the sponsorship of women
in higher education. Other enticements were false advertising for nursing
jobs at outposts or Japanese army bases; once recruited, they were incarcerated
in comfort stations both inside their nations and abroad.
従軍慰安婦報道に関する誤報について思うこと
↑朝日新聞の誤報問題についての私感
1977年から、朝日新聞社が吉田清治の偽証を鵜呑みにし、記事を書き続けてたことによって、多くの誤解が生まれたことは間違いありません。しかし、その訂正や謝罪は、2014年とかなり遅く、しかも一時的なものです。30年以上も、嘘の証言が真実として伝えてきたのですから、もう、それは絶対的事実と信じている人も多いはずで、それを覆すことは容易なことではないと思います。従軍慰安婦の一般的訳語がSexual Slaveryとなり世界中に広まった理由は、この朝日新聞の誤報によるものだったのではないかと思いました。
私は、日本政府、そして日本軍が朝鮮人に対して犯した非道は、間違いなくあったと思います。戦後にも、朝鮮人に対し差別意識を持つ日本人は少なからず居たと思います。どのような非道があったのか、当時の世界の情勢と合わせて、しっかり検証されるべき問題と思います。
しかし、朝日新聞社によるこの問題は、全く別次元のことです。虚偽の証言に基づき、虚偽記事を多くの人に広め、そのことへの反省も少ないマスコミ。大きな問題が残ってしまったと思います。
第二次世界大戦というものを総括し、「平和」という事を考える上で必要なことは、個人や会社の利益、国益、個人的な感情論、すべてを超えた真実の検証と思います。まだ、戦争を知っている世代が残っているうちに、真実の検証が進むことを願ってやみません。
朝日新聞の慰安婦報道問題
=朝日新聞による慰安婦報道に関する誤報の問題
*以下、ウイキペディアの記事の抜粋です。
1977年に戦中に陸軍労務報告会下関支部動員部長であったと自称する吉田清治が『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を刊行し、軍令により済州島で女性を強制連行して慰安婦にしたと「告白」した。吉田は1982年に高木健一弁護士が主導した在樺コリアン訴訟でも済州島での朝鮮人奴隷狩りを証言したが、被告の日本政府代理人は反対尋問をしなかった。
朝日新聞は、1982年9月2日(大阪版)22面において清田治史が「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」と報道した。さらに吉田は1983年7月に済州島で200人の女性を拉致したと証言する『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版。同1983年12月に天安市に私費で謝罪碑をたてるために訪韓し、土下座した。
1992年3月に歴史家の秦郁彦が済州島で現地調査を行い、城山浦の老人が「男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかった」という証言を得たり、済州新聞の許栄善記事を発見し、吉田証言には根拠がないことを産経新聞1992年4月30日、『正論』1992年6月号に発表した。その後、1996年に吉田は「本に真実を書いても何の利益もない」と事実と創作を混ぜて書いたと述べた。朝日新聞は1997年3月31日に吉田の「著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」との記事を掲載したが、訂正記事は出さなかった。
李栄薫ソウル大学教授によれば吉田証言は今日の韓国人の集団的記憶形成に決定的に寄与した。1992年7月31日の韓国政府による日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書でも吉田の著書を証拠として採用し、その後も修正していない。また1996年の国連のクマラスワミ報告でも吉田証言は証拠として採用されている。
一連の朝日新聞による慰安婦の強制連行報道については吉田による自らの証言が創作であったとの告白や植村の記事におけるミスの指摘などがなされた後も長らく訂正されることはなかった。
朝日新聞は吉田の証言を虚偽と認定し記事を撤回した。朝日新聞によれば、1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面の吉田の記事初掲載から確認できただけで16回掲載したとし、1992年4月30日、産経新聞朝刊の秦の吉田証言への疑問との指摘や、1997年3月31日の特集記事のため虚偽との指摘や報道があるとして取材面会を申し込むが吉田から拒否され、吉田は「体験をそのまま書いた」と電話で答えた、その後朝日新聞として吉田のことは取り上げていないとしている。このほか、2012年11月自民党安倍晋三総裁の日本記者クラブ主催の党首討論会での朝日新聞の誤報による詐欺師のような吉田の本がまるで事実のように伝わり問題が大きくなったとの安倍の指摘までなどを順次経過を追って記述し、「2014年4月から5月にかけて済州島内で70代後半から90代の計約40人から話を聞いたが、強制連行したという吉田の記述を裏付ける証言は得られなかったとして『「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断』とした」。また「読者のみなさまへ」として「当時、虚偽の証言は見抜けませんでした。」としている。
2014年8月にようやく訂正記事を掲載するに至った。しかし、謝罪はなく、社会問題化する中で同年9月、社長出席の記者会見で改めて訂正、謝罪を行った。朝日新聞が長期間にわたり訂正を行わず、記事を放置した結果、国際社会における「慰安婦強制連行」を既定事実化したと譴責する声もあり、その責任を問う提訴もなされている。
2014年9月11日、朝日新聞社社長・木村伊量や取締役編集担当(いずれも当時)らが過去の記事の訂正に関して謝罪会見を行った。同年5月20日記事の吉田調書に関して作業員が命令に違反して撤退と報じた事は誤報であったと訂正し会見で謝罪した。また同年8月5日慰安婦に関する吉田証言を虚偽と訂正を報じた後、謝罪会見がないと指摘があったが、この会見で付随して謝罪した。
2014年9月27日、日本共産党のしんぶん赤旗も朝日新聞の8月5日の特集記事を機会に検証し、1992年から93年に3回「吉田証言」や著書を取り上げたが信憑性がなかった、として取り消し・謝罪記事を掲載した。
また、朝日新聞は記事以外でも吉田証言から謝罪までの間に天声人語で15回、声の欄で朝日新聞の主張に沿ったもののみ480回慰安婦問題を取り上げており、2014年9月13日付けの天声人語、社説でも謝罪している。
2014年12月23日、吉田への取材から「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」と報じた記事など追加で2本取り消し、朝日新聞の一連の記事取り消しは計18本となった。
Asahi Shimbun Third-Party Investigative Committee
InThe novel My War Crime, written by Seiji Yoshida in 1983, which played
a major role in publicizing the issue of comfort women, was later found
to be mere fiction, causing the Asahi Shimbun newspaper to publish several
retractions and apologies to its readers, as recently as 2014.
*retraction=撤回、取り消し
In August 2014, the Asahi Shimbun, Japan's second largest newspaper in
circulation, retracted 16 articles published between 1982 and 1997. The
articles were concerned with former imperial army officer Seiji Yoshida,
who claimed he had forcibly taken Korean women to wartime Japanese military
brothels from the Jeju Island region in South Korea. Following the retraction
of the articles, the newspaper also refused to publish an op-ed on the matter by Japanese journalist Akira Ikegami.
*op-ed (page)=オプエドゥ=《米略式》特別ページ(囲み記事など)
The public response and criticism that ensued pushed the newspaper to nominate
a third-party investigative committee headed by seven leading scholars,
journalists and legal experts. The committee report dealt with the circumstances
leading to the publication of Yoshida's false testimony and to the effect
these publications had on Japan's image abroad and diplomatic relations
with various countries.
It found that the Asahi was negligent in publishing Yoshida's testimony, but that the reports on the testimony
had "limited" effect on foreign media outlets and reports. On
the other hand, the report found that Japanese officials’ comments on the
issue had a far more detrimental effect on Japan's image and its diplomatic relations.
*negligent=ネグりジェントゥ=怠惰な,不注意な、(責任など)怠る
*detrimental=デトリメンタる=有害な(harmful) /detriment=損失(damage)
吉田氏の虚偽証言、初掲載は昭和57年 朝日「信頼される新聞になることで責任を果たす」朝日慰安婦報道取り消し10年
(産経新聞デジタル版/ 2024/8/4)
朝日新聞は平成26年8月5日付と6日付朝刊で「慰安婦問題を考える」と題した特集記事を掲載し、同紙の慰安婦報道を検証した。5日付では、韓国で女性を慰安婦にするため強制連行したと証言してきた吉田清治氏(故人)について「確認できただけで16回、記事にした」と明らかにし、吉田氏の証言は「虚偽だと判断」したとして16本の記事を取り消した(同年12月に2本追加)。
当初は謝罪せず
朝日が女性を強制連行したとする吉田氏の話を初めて掲載したのは昭和57年9月2日付の大阪本社版朝刊。吉田氏の大阪市内での講演内容として、「(昭和)18年の初夏の一週間に済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」などと伝えた。
韓国で女性を強制連行したとする吉田氏の証言には早くから疑問が呈されていた。現代史家の秦郁彦氏が平成4年3月、済州島で現地調査を実施すると、地元のジャーナリストや古老らはそろって吉田証言を否定した。産経新聞は秦氏の調査結果を4年4月30日付朝刊で伝えた。
朝日は吉田証言について、秦氏の調査から約22年後にようやく虚偽と判断し、記事を取り消したが、その間、吉田証言は韓国政府が1992年(平成4年)7月に発表した「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」や国連人権委員会(当時)に提出された報告書で強制連行の根拠とされた。
朝日は平成26年8月5日付紙面では謝罪をせず、記事を放置した間に吉田証言が世界に広まった責任についても認めなかった。
ジャーナリストの池上彰氏は当時、朝日に連載していたコラムで「過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」と記したが、朝日がこのコラムの掲載を一時見送ったことも明らかになった。
三者委「報道機関として役割欠いた」
朝日が立ち上げた慰安婦報道を検証する第三者委員会は26年12月に公表した報告書で、朝日が当初、謝罪しなかったことについて「反対世論や朝日新聞に対する他紙の論調を意識する余り、これのみを相手とし、報道機関としての役割や一般読者に向かい合うという視点を欠いたもので、新聞のとるべきものではない」と批判した。検証記事については「朝日新聞の自己弁護の姿勢が目立ち、謙虚な反省の態度も示されず、何を言わんとするのか分かりにくいものとなった」と指摘した。
朝日の慰安婦報道が国際社会に与えた影響に関しては、第三者委員会の複数の委員が「韓国における慰安婦問題に対する過激な言説を、朝日新聞その他の日本メディアはいわばエンドース(裏書き)してきた。その中で指導的な位置にあったのが朝日新聞である。それは、韓国における過激な慰安婦問題批判に弾みをつけ、さらに過激化させた」と指摘した。
政府「国際社会に大きな影響」
政府は、吉田証言について「大手の新聞社の一つである朝日新聞により、事実であるかのように大きく報道され、日本、韓国の世論のみならず、国際社会にも、大きな影響を与えた」としている。
このほか朝日は26年8月5日付紙面で、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」(平成4年1月11日付朝刊の用語説明メモ)などと、軍需工場などで勤労する女子挺身隊と慰安婦を混同していたことも紹介した。「当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました」と釈明した。
産経新聞は朝日新聞社に対し、10年前の吉田氏の関連記事取消しについて現在、どのように考え、どのように位置づけているかを質問した。同社広報部は「当時、紙面や当社のサイトでお知らせした見解や位置づけと変わってはおりません。2014年12月に公表した慰安婦報道を検証する第三者委員会の指摘と提言を踏まえ、日々の取材と報道に取り組んで参ります。信頼される新聞になることで、責任を果たしていきたいと考えております」と回答した。(原川貴郎)