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Ichiro drills deep triple to join MLB’s 3,000-hit club

Reuters, AP
Aug 8, 2016

The Japan Times より引用

Japanese outfielder Ichiro Suzuki of the Miami Marlins on Sunday became the 30th Major League Baseball player with 3,000 career hits.

Ichiro, who in 2001 became the first Japanese position player in MLB history, joins Roberto Clemente (Puerto Rico), Rod Carew (Panama) and Rafael Palmeiro (Cuba) as the only members of the 3,000-hit club born outside the United States.

The Marlins outfielder did it Sunday with a triple in the seventh inning against Colorado at Coors Field. Miami players came out of the dugout to congratulate Suzuki, and he waved his helmet to acknowledge the cheers.

The 42-year-old Ichiro hit a long drive to right field that carried just beyond the reach of leaping Gerardo Parra. Suzuki joined Paul Molitor as the only players whose 3,000th hit was a triple.

Ichiro was hitless in his first three at-bats of the game before the big hit against Chris Rusin.

He is in his 16th season in the majors. He got 1,278 hits while playing nine years in Japan before becoming the American League Rookie of the Year and MVP with Seattle in 2001.

The 3,000-hit milestone makes Ichiro a member of an exclusive club that is considered the greatest measure of hitting excellence and physical endurance.

In the midst of an improbable resurgence with the Marlins at the age of 42, Ichiro achieved the feat against the Rockies when he slugged a triple deep to rightfield in the seventh inning.

Former teammate and five-time World Series champion Derek Jeter, a 13-time All-Star who retired from Major League Baseball after the 2014 season, described Ichiro as one the game’s all-time greats.

“It’s an incredible accomplishment,” Jeter wrote in a post on The Players’ Tribune. “When you add in his 1,278 hits from Japan, where he played until he was 26, his career will be counted as one of the best of this or any other generation.”

Ichiro made his MLB debut with the Seattle Mariners and went on to became only the second player to win Rookie of the Year and Most Valuable Player awards in the same season.

He also opened his MLB career with a record 10 consecutive seasons of more than 200 hits.

A 10-time All-Star, Ichiro won a Gold Glove Award in each of his first 10 years in the majors, and has had an American League record of seven hitting streaks of 20 or more games, with a high of 27.

He helped lead Japan to consecutive titles in the World Baseball Classic in 2006 and 2009.

“Most of all, I’ve admired Ichiro because he’s a model of consistency,” said Jeter, who played parts of three seasons with Ichiro as members of the New York Yankees. “In my mind, the most underrated characteristic for anyone is consistency. It’s something that gets overlooked until it’s gone.

“I think baseball was always more than just a game to him. This was what he was born to do. And most impressive of all, the guy’s 42 years old and I can’t remember him ever being on the disabled list. He has taken great care of himself.

“My hat’s off to Ichiro. He’s a guy who comes around once in a lifetime. No one’s ever seen anybody like him. And to be quite honest, we probably won’t see anybody like him again.”





Ichiro Suzuki gets 3,000th career hit in major leagues

The Yomiuri Shimbunより引用

Ichiro gets his 3,000th career hit in the major leagues on Sunday in Denver.

The Associated Press DENVER (AP) — Ichiro Suzuki tripled off the wall for his 3,000th career hit in the major leagues Sunday, becoming the 30th player to reach the milestone.

The 42-year-old Marlins outfielder did it in the seventh inning against Colorado at Coors Field. He joined Paul Molitor as the only players whose 3,000th hit was a triple.

Miami players came out of the dugout to congratulate Suzuki, and he waved his helmet to acknowledge the cheers.

Hitting coach Barry Bonds gave him a hug as the celebration at third base ended, and Suzuki got another round of applause when he scored on Jeff Mathis’ single, as well as a hug from manager Don Mattingly.

Suzuki gave the crowd a wave as he went into the dugout. He batted again in the ninth and drew a walk.

Suzuki was hitless in his first three at-bats of the game before the big hit against Chris Rusin.

The Japanese star launched a long drive to right field that carried just beyond the reach of leaping Gerardo Parra. Suzuki breezed into third standing up.

Suzuki is in his 16th season in the majors. He got 1,278 hits while playing nine years in Japan before becoming the American League Rookie of the Year and MVP with Seattle in 2001.

Suzuki was greeted with cheers every time he came to bat. He struck out in the first inning, hit a comebacker in the third and grounded out to short in the fourth.

At 42 years, 290 days he is the second-oldest player by three days over Ricky Henderson to reach the milestone. Only Cap Anson, who was 45 when he got his 3,000th hit in 1897, was older.

“Congratulations to my friend and teammate Ichiro on joining the 3,000-hit club,” former Yankees star Derek Jeter said in a statement.

“I was fortunate to have both the pleasure of competing against him and the honor of playing alongside him. Baseball is more than a game to him, it is a craft, which he works at tirelessly with intense discipline.”

Suzuki got his 2,999th hit Saturday night as a pinch-hitter. He stayed in the game and grounded out in the ninth.

Suzuki played for Seattle until getting traded to the Yankees during the 2012 season.

“Prior to Ichiro’s first game for the Mariners in 2001, the late Pancho Ito, a Japanese baseball broadcaster and historian, said, ‘He is a genius with the bat.’ Mr. Ito was absolutely correct,” Mariners chairman Howard Lincoln said in a statement.

“A tip of the Mariners cap to Ichiro,” he said.




イチロー 通算3000本安打達成 大リーグ史上30人目

イチロー 通算3000本安打達成 大リーグ史上30人目

大リーグ、マーリンズのイチロー選手が7日のロッキーズ戦でスリーベースヒットを打ち、史上30人目の通算3000本安打を達成しました。

イチロー選手は、大リーグでの通算安打数を2999本として迎えた7日、相手の本拠地コロラド州デンバーで行われたロッキーズ戦に6番・センターで8試合ぶりに先発出場しました。
1回の第1打席は空振りの三振、3回の第2打席はピッチャーゴロ、4回の第3打席はショートゴロに倒れましたが、7回の第4打席、ロッキーズの2人目、左のラシン投手に対しツーボールからの3球目、138キロの速球を捉えてライトフェンス直撃のスリーベースヒットを打ち、大リーグ16年目で通算3000本安打を達成しました。
イチロー選手が三塁ベース上に立つとマーリンズのベンチからチームメートやボンズ・コーチなどが駆け寄り、イチロー選手の記録達成を祝福しました。また、相手のロッキーズの選手も拍手でイチロー選手をたたえました。さらに、球場に訪れた4万人を超えるスタンドのファンからも大きな歓声と拍手が送られ、イチロー選手はヘルメットを掲げて感慨深そうな表情を見せていました。
イチロー選手はこのあと9回の第5打席はフォアボールで、この試合は4打数1安打、三振1つ、フォアボール1つでした。
試合はマーリンズが10対7で勝ちました。
通算3000本安打を達成したのは140年に及ぶ大リーグの歴史の中で30人目で、42歳9か月での記録達成は史上2番目の年長記録です。
また、3000本目のヒットをスリーベースヒットで記録したのは、1996年に達成した当時ツインズのポール・モリター選手以来、2人目です。

通算3000本安打 イチローが30人目

大リーグ通算3000本安打を達成したのは、140年に及ぶ大リーグの歴史でイチロー選手が30人目です。
大リーグでも特に優れたバッターの指標となっているシーズン200本のヒットを毎年打っても15年間かかることから、長期間にわたって活躍し続けないと達成できない、超一流バッターの証しとされる記録です。これまでの達成者は全員20代前半で大リーグデビューを果たしていて、27歳で日本から移籍したイチロー選手は、デビューがこれまでで最も遅い選手となりました。また、42歳9か月での記録達成は、45歳で達成した19世紀の名選手、キャップ・アンソン氏に次ぐ2番目の年長記録です。
現役でプレーしているイチロー選手とヤンキースのアレックス・ロドリゲス選手、それに、おととし現役を引退し、まだ投票の対象になっていないデレク・ジーター氏を除いた27人のうち、アメリカ野球殿堂入りを果たしていないのは、野球賭博に関わっていたとして大リーグ機構から永久追放処分を受けたピート・ローズ氏と、ドーピング疑惑が取り沙汰されたラファエル・パルメイロ氏の2人だけです。
大リーグ機構によりますと、ヒット数の上位3人はピート・ローズ氏が4256本、タイ・カッブ氏が4191本、ハンク・アーロン氏が3771本となっています。

イチロー 2000年に大リーグに

イチロー選手は愛知県出身の42歳。1992年、愛知県の愛工大名電高校からドラフト4位でプロ野球のオリックスに入団しました。
独特の振り子打法でプロ3年目の94年から7年連続で首位打者のタイトルを獲得し、2000年にポスティングシステムを経て大リーグのマリナーズに入団しました。
大リーグでも卓越したバットコントロールと俊足を生かして2001年の1年目からレギュラーとして活躍し、242本のヒットを打って新人のシーズン最多安打記録を更新したほか、首位打者と盗塁王のタイトルを獲得し、リーグの新人王と最優秀選手にも選ばれました。
さらに、2004年には、大リーグのシーズン最多安打記録を更新する262本のヒットを打って、2回目の首位打者のタイトルを獲得しました。
大リーグ5年目の2005年には大リーグ通算1000本安打を達成、大リーグ696試合目での1000本安打は、1900年以降、大リーグが現在の形になってからは3番目に早い到達となりました。
2009年、大リーグ9年目には1402試合目で2000本安打をマーク、2010年には、大リーグ初の10年連続200本安打を達成しました。
2012年のシーズン途中に、11年余りプレーしたマリナーズから交換トレードでヤンキースに移籍しましたが、控えの外野手に位置づけられ、出場機会は次第に減っていきました。
2013年には、日米通算でヒットの数を4000本の大台に乗せました。
そして、去年、初めてのナショナルリーグとなるマーリンズに移籍しましたが、代打中心の出場で91安打、打率2割2分9厘、盗塁11と、いずれも大リーグ15年目で最も低い数字にとどまっていました。
それでも徹底した体調管理と試合に向けた心身の鍛錬を続け、今シーズンは5月下旬に1試合4安打を2回記録するなど調子を上げて、6月15日には日米通算の安打数を4257本とし、ピート・ローズ氏の持つ大リーグ通算最多安打記録を上回りました。
今シーズンはここまで3割を超える打率を残しています。

王会長「輝かしい記録」

イチロー選手の大リーグ通算3000本安打について、ソフトバンクの王貞治球団会長は「アメリカでも認めざるをえない本当の意味での金字塔ですね。日本球界にとっても大変誇らしく、輝かしい記録です。常に野球をするための準備ができている、そういう彼の生きざまそのものが野球界全体に影響していると言えます。イチロー君、いや、イチローさん、気の済むまで野球をやってください」というコメントを出しました。

黒田投手「改めてすごいことだと思う」

イチロー選手と大リーグのヤンキースでチームメートだったプロ野球・広島の黒田博樹投手は、「大リーガーそしてファンからもリスペクトされる日本人がアメリカにいることは改めてすごいことだと思います。イチローさんは僕たちが想像している以上のことをやってのけるので、楽しみはまだまだ続きます」という談話を球団を通じて出しました。

川崎選手「先輩目指して頑張る」

イチロー選手とワールドベースボールクラシックの日本代表やマリナーズでともにプレーし、みずからイチロー選手の大ファンだと公言している大リーグ・カブスの川崎宗則選手は「3000本安打、イチロー先輩おめでとうございます。すごかったです、これからも先輩目指して頑張ります。よろしくお願いします」と先輩の偉業を祝福しました。

父親の鈴木宣之さん「幸せな人生です」

大リーグ、マーリンズのイチロー選手が大リーグ通算3000本安打を達成したことを受けて、父親の鈴木宣之さん(73)が愛知県豊山町で報道陣の取材に応じ、「息子に楽しませてもらい、幸せな人生です」と話していました。
宣之さんは8日の試合を自宅のテレビで観戦していたということです。
宣之さんは、「コツコツやっていれば目標を達成することができるんだと思い、目頭が熱くなりました。息子に楽しませてもらい幸せな人生です」と記録達成の瞬間を振り返りました。
そのうえで、「親としては『よくここまでやってきたな』という思いだが、史上30人目ということはまだ上に29人いるということなので、これからも多くの人たちを楽しませながら次の目標に挑戦してほしいです」と話していました。

新井宏昌さん「うれしい」

イチロー選手の大リーグ通算3000本安打の達成についてイチロー選手がプロ野球・オリックスでプレーした当時に打撃コーチを務め、この試合の解説を務めた新井宏昌さんは「うれしいです。ことし2月に練習をしたとき、『大リーグ通算3000本安打を今年のモチベーションとして頑張ります』と言ってくれた。彼は数字のことを自分から発することはなかったので、本当に意識しているんだなと思っていた」と話しました。
3000本安打を目前に足踏みが続いたことについて「彼が記録を達成するのにこれほど長く待たされたことはなかった。いろいろ声援をくれる方、チームメイトのためにも早く達成したい、打たなければいけないというプレッシャーがあって思うようにいかなかったのでは」と話していました。
またイチロー選手が3000本安打を達成したあと、ベンチに戻った際にサングラスをかけて、1人でゲームを見つめていた場面について「打ったあとのベンチでサングラスをかけて涙なのか、汗かわからないが隠す姿に、3000本を打った感慨を感じた。ああいう姿もこれまでは見たことがない。3000本打つことがどれほどすごいことなのか証明したのではないか」と話していました。
そして今後について「日米通算5000本。そして、大リーグだけで、ピート・ローズの記録を更新するまでプレーしてほしい。彼の美しい姿が見せられるうちはずっとプレーしてほしい」と話していました。

デレク・ジーター氏「祝福したい」

大リーグ通算3465本のヒットを打ち、イチロー選手とヤンキースでチームメートだったデレク・ジーター氏は「友人であり、チームメートであったイチロー選手が3000本安打クラブに加わったことを祝福したい。私はイチロー選手と対戦する楽しさも、ともに戦う栄誉も味わうことができた。彼にとって野球は単なるゲームではなく、厳しい規律の下で根気強く取り組む職人が作り上げた工芸品だ。イチロー選手はあらゆる意味で真のプロフェッショナルで、通算3000本安打は彼が野球選手として築き上げる金字塔の1つにすぎない」というコメントを発表しました。

アレックス・ロドリゲス選手「非凡な才能の持ち主」

去年6月に3000本安打を達成し、現役選手では最多安打を記録しているアレックス・ロドリゲス選手は「バッターなら誰でも3000本を打ちたいが、それだけ長い間、けがをしないでプレーできる選手は少ない。自分にとってもすばらしい瞬間だったし、周りへの感謝の気持ちを抱いた」と振り返りました。
そしてイチロー選手については「これまで見たことがないようなバッティングをしていて、魅力的だった。私とは異なり、ボールをいつでもバットに当てられる技術があり、ライトスタンド上段に25球連続でホームランを打つこともできるが、試合ではそういう魔法は見せず4安打を狙っている。私は18歳から大リーグでプレーし始めたが、イチロー選手が18歳でアメリカに来ていたらどれだけヒットを打っていたか想像もつかない」とたたえました。
そしてヤンキースでチームメートだった頃を振り返って「イチロー選手から学ぶことは多かった。情熱と愛情を持って野球にすべてをささげ、調子がいいときも悪いときもいつも同じ準備をしていた。一生のうちに1人出会えるかどうかの非凡な才能の持ち主で、友人としても尊敬している。連絡して祝福したい」と話しました。

ケン・グリフィー氏「やることすべてが印象的」

長年、マリナーズの中心選手として活躍し、イチロー選手とも2年間チームメートだったケン・グリフィー氏は「イチロー選手と初めて会った大リーグ1年目のキャンプは、少し大変そうだった。3000マイルも離れた日本からやってきて、キャンプの施設には知り合いが誰もいないなか、新しい環境にどうやって適応するか学ばなければいけなかったし、誰が味方で誰が敵かも分からなかった。当時は誰もイチロー選手が通算3000本安打を達成するとは思っていなかっただろうが、彼自身はそれを信じていた」と話しました。
そして「私はこの最も優れた選手のプレーを特等席のベンチから見ることができ、スポーツというものは出身がどこであれ、すぐれているものはすぐれていると思い知らされた。イチロー選手が球場に来てから帰るまで、やることすべてがとても印象的だった」と振り返っていました。

ルー・ピネラ氏「並外れた功績」

イチロー選手が2001年にマリナーズで大リーグデビューした当時の監督だったルー・ピネラ氏は入団当時のイチロー選手について「はじめは大リーグのピッチャーの速球についてこられるかどうかが心配だった。オープン戦の序盤はすべて流し打ちしてレフト方向にヒットを打っていたので、通訳を介して『ボールを引っ張る姿が見たい』と伝えたところ、イチロー選手はその次の打席で右中間にホームランを打ち、スイングスピードの速さを示してくれた。日本で正しい野球を学び、すでにバランスのとれた選手だったので、あとはリラックスするように伝えて好きにプレーさせた」と振り返りました。
そしてイチロー選手のバッティングについて「バットを振るのと同時にすでに一塁に向かって動き出している、とてもユニークなスタイルで教えられるものではない。シアトルは空気が湿っていて重く、ヒットを簡単に打てる場所ではないが、イチロー選手はフェアゾーンすべてに打ち分けられ、三振が少なく、足が速いのでスランプに陥った記憶はない。また野球に対する情熱があり、バッティング練習に非常に真剣に取り組んでいた。すぐにクラブハウスの人気者になったし、シアトルの街もイチロー選手をとても応援した」と話しました。そのうえで3000本安打について「並外れた功績だ。27歳と決して若い年齢でアメリカに来たわけではないので、2000本は打てても3000本打てるとは思わなかった。イチロー選手ほどの才能は簡単に見つからないし、同じプレースタイルの選手は出てこないだろう。監督をしていて楽しかったし、彼の存在に感謝しなければいけない」とたたえていました。

ティム・ハドソン氏「最高の野球選手」

大リーグ通算222勝を挙げ、2001年にアスレティックスの開幕投手としてイチロー選手が大リーグで初めて対戦したピッチャーのティム・ハドソン氏は3打数ノーヒットに抑えた当時の対戦について、「イチロー選手は非常に才能のあるすばらしい選手で、多くのファンや記者とともに大リーグにやってきた。自分はまだ若く、初めての開幕投手で対戦するのはとても興奮したし楽しかった。チームも同じアメリカンリーグ西部地区で、あれからお互いにライバルと意識するようになった」と振り返りました。
ハドソン氏はイチロー選手を通算で69打数15安打、打率2割1分7厘に抑えましたが「本当に打ち取るのが難しかった。成績では自分の方がよかったかもしれないが、どんなに低めに、ストライクゾーンギリギリに投げてもいつもバットに当ててきたし、スピードにやられたこともあった。こちらがどのような攻め方をしてもその打席の中で適応してきた。自分との対戦では野手がちょうどいいところにいてくれたことが多く、周りに助けられていた」と話しました。
そしてイチロー選手の3000本安打達成については「現在の大リーグでヒットを3000本打つということは驚くべきことで、信じられない業績だ。日本からの才能をそのまま大リーグに持ってきて、進化させていったと思う。42歳だが、打席に立っても威圧感があるし若いときとほとんど変わっていない。まだあと3年から5年はプレーできそうなので、最終的にほとんどの人の記録に追いつくかもしれない。最高の野球選手で、間違いなくアメリカの野球殿堂に入るだろう」と評価しました。

カル・リプケン氏「少しでも長くプレーを」

大リーグの連続試合出場記録を持ち、歴代14位の通算3184安打を打っている元オリオールズのカル・リプケン氏はイチロー選手について「1996年の日米野球で日本を訪れたとき、彼が大リーグの最高のピッチャーたちと対戦するのを見ていて、すぐれた反射神経や一塁に走るスピードの速さなどその才能に気付くのに時間はかからなかった」と振り返りました。
守備のすぐれた選手に送られるゴールドグラブ賞を内野手として2回受賞しているリプケン氏は「イチロー選手はバットコントロールがすぐれていて、インコースのボールをレフトに流し打ちしたかと思えば、アウトコースのボールをライトに引っ張ることもあり、打球の方向を予想するのは非常に難しい。スピードもあるので、内野手は定位置より前に出なければならず、守りにくい相手だ」と分析しました。
そして史上30人目となった通算3000本安打達成について「27歳のときに大リーグでプレーし始め、これだけ短い期間で3000本安打を打つのは驚くべきことだ。私たちの多くは20歳前後でプレーし始めて27歳の頃には1000本以上のヒットを打っていた。3000本安打を達成するためには長期間、健康で安定した成績を残し、出場機会が与えられるのにふさわしい選手であり続けなければいけないが、イチロー選手はまだ健康で、25歳ぐらいに見える。少しでも長くプレーし続けてほしい」とエールを送りました。